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文章が書けない理由その1〜言葉にする習慣がない

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文章

文章を書きたいのに書けない。

こんな状態に陥ったことはありませんか?
私は今まさにその状態です。

考えてみると、文章とは文が章を成していること。
そして文とは言葉を紡いで作るもの。
つまり、文章とは、言葉が出てこなければ書けないものなんですね!

「そりゃあそうだろう」
「当たり前だ」
そう思うかもしれません。しかし文章を書けない人にとっては、これは大きな気づきです!

 

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なぜ文章を書く際に言葉が出てこないのか?

考えてみれば、顔を突き合わせた直接的なコミュニケーションの場合、身振り手振りや表情を使って言葉を補えます。
そして何より、相手からの直接的なフィードバックがある。

「今の話、もう少し詳しく」
とか
「たとえば今の話ってこういうこと?」
など、自分の言葉の足りなさを、相手が補足してくれることでコミュニケーションが成り立つんですね!直接的なコミュニケーションの場合は。

で、文章の場合は?
多くの場合文章は、相手が目の前にいない際のコミュニケーションに使われます。
まさに今、私はあなたの目の前にはいませんが、伝えたいことをこうして文章にすることでコミュニケーションを取ろうと試みています。

 

普段のコミュニケーションの中で、言葉以外の伝達方法や相手からのフィードバックに甘えてしまっている。
すると、言葉のみで伝達する能力が失われていく。そして、文章で何かを伝えるということが困難になっていくのではないか?

今この文章を読んで、あなたに何か疑問点があったとしても、私はその疑問点に対してリアルタイムに補足することができない。
だからこそ、言葉を駆使して疑問が起こり得ないように文章を書いていく必要がある。

普段の人との直接的なコミュニケーションにおいて、言葉以外の表現方法や、相手のフィードバックに甘えているから、いざ文章を書く際に言葉が出てこない。

 

言葉にしなくてもコミュニケーションが取れるとなぜ思うのか?

私の経験の中で、
言葉にしなくても問題ない
というメッセージはずっと身近にあった気がする。

人のせいにするようだが、学校教育やさまざまな試験は人から言葉を奪っているように思うのだ。

 

何かの試験に挑もうとする。
すると受験生である私は、その試験に関する「言葉」を覚えようとする。
「言葉」だけでなく、「その言葉の意味」や「その言葉の活用方法」など。

しかし実際の試験問題はどうなっているか?

正しい言葉を選びなさい

この言葉の意味を正しく説明しているものを選びなさい
と問うてくる。

ここに曖昧さを許容する余地が生まれる。

ちなみに私が何かの試験を受けるのならば、対策はこうする。

言葉は曖昧に覚えていればいいから、より多くの単語や問題に触れる
そして、過去の試験問題から解答選択肢の言い回しの特徴を覚えて、正解を選択できるよう練習する

選択肢の中から正解を導く試験において、言葉や言葉の意味、言葉の活用方法をより正確に覚える必要などないのだ。

 

選択式の試験に強い私であるが、論述形式の試験にめっぽう弱い・・・(涙)
なぜかって?
何かを説明する、とか、問題点を抜き出す、問題から課題を設定する、課題を解決に導く。
これをするために最適な言葉を知らないから。
つまり説明できない。

選択式の試験に合格するのに、正しい言葉の意味なんて「きちんと」覚える必要はほぼない。
「なんとなく、こうだろ?!」
で充分!
語弊はあるだろうが、こんな試験に慣れてきた私は言葉を駆使できない。

そして、日本の試験の多くは「選択式」だ。

 

言葉にしなくてもわかってくれる相手に甘え、依存している

長年連れ添った熟年夫婦のように、「あれ」、「それ」、「これ」で用がすんでしまえば、言葉を使う機会は少なくなっていくだろう。
「あれ」、「それ」、「これ」すら使わず、
亭主が食卓に座ったら、黙ってお茶を出す
なんて時代もあっただろう。

考えてみれば、昔の仕事の教育って、これに近かったんじゃないか?
「仕事は先輩の背中を見て覚えろ!」

職場の先輩や上司は、仕事の仕方を説明する努力をしない。
現場での教育は、新人の能力だのみ。
そのくせ、先輩や上司は、
「あいつは飲み込みが早い」
「あいつは覚える気がないのか?!」
など、新人や部下を評価する。

  • 頼まなくてもお茶が出てくると思っている熟年夫婦の亭主
  • 教えなくても育つ人間だけを優秀と評価する昔気質の職場の上司
  • 言葉が足らない文章でも、わかってもらえると思っている私

言葉にしなくてもわかってくれる相手に甘えて、依存しているのだろう。
だから、文章を作る際も言葉に詰まり書けないのだ。

言葉にできたとて、「全てを説明できる」とか、「正確に同じものをイメージしあえる」とは思っていない。言葉も万能ではないから。

それでも言葉を使うしか、人に何かを伝える方法はない。
どんな相手にでも、自分の知識の範囲内でなら、言葉を使って説明できる。
ひょっとしてこれこそが勉強なのかもしれない。

言葉以上に理解をしてくれる相手に甘えず、依存せず、「勉強」しよう!

 

言葉にする習慣のない人が文章を書けるようになるための対策

文章が書けない理由が、言葉が出てこないというものであるならば。
言葉を覚えるとか、言葉を使って説明する習慣をつけるとか、対策は思いつく。

しかしあえて私の見出した対策を提示するならば、それはこうだ。

言葉にする習慣がないから文章を書けない。
ならば、言葉にする習慣を作るために文章を書き続ける!

目の前にいない誰かに向かって、昨日見た夕日の美しさを、言葉で説明し、相手の脳内でイメージしてもらえるように。
経験したことのないはずの物事を、言葉だけで、まるで今経験しているかのように感じてもらえるように。
調べなくてはいけないような難しい言葉や、「暗号か?!」と思えるような難解な言い回しではなく、労せず腹落ちさせられる文章を書けるようになるために。

そう考えると、ブログというものは、もしかすると言葉にする習慣がない人にとって、言葉にする習慣を作るための場となり得るかもしれない。

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